命みなぎる新緑の季節となりました。中庭のヤマボウシは、ゆさゆさと若葉を揺らし、白い花をつけています。小鳥のさえずりで目を覚ます朝、あぁ自然の営みのありがたさ、ささやかな日常を過ごしています。
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今、半引きこもり生活をしている。
と言えばなにやら深刻だが、ワタシの落ち
着ける居場所は、2階の自室である。
階下の食堂や居間でくつろごう、読書しよ
うと努めてはみたけれど、無理だった。。。
もともとオットの両親のくつろぎの場とし
て機能している居間に、ワタシ(たち)の
居場所を見つけることができなかった。
両親の人間性とは関係がない。
一言で言えば、「余所」(よそ)なのである。
子どもの頃、お盆とお正月、祖母の家に親
戚が一堂に会した。人見知りする性質のワ
タシは、いとこたちの輪に入っていけず、
所在無さに「余所」を強く意識した。
そのときの心境と似ている。
場は、両手を広げてワタシを包み込んでく
れない。場のせいにするなんて卑怯かもし
れないが、場所にはそこで営まれてきたく
らしからにじみ出た人情や念、思いや願い
が交錯している。
場のもつ空気やエネルギーは、行動に制約
を与える。それはよいとか悪いとかの次元
で語れることではなく。。。
自分のテリトリーを確保するのは、動物の
習性である。ワタシもまた居場所を求めて
自室にこもる。。。
ただ、今度の家ではこもることと家族で過
ごす時間とのバランスを意識しなければと
自戒している。
イエまるごとが自分のテリトリーになるだ
ろうから、難しいことではないと予想する
が、引きこもりはよくないな(笑)、と。
着々と進む現場。ダウンライトを埋め込む穴。
クリックしていただいた方に
感謝100倍★
と言えばなにやら深刻だが、ワタシの落ち
着ける居場所は、2階の自室である。
階下の食堂や居間でくつろごう、読書しよ
うと努めてはみたけれど、無理だった。。。
もともとオットの両親のくつろぎの場とし
て機能している居間に、ワタシ(たち)の
居場所を見つけることができなかった。
両親の人間性とは関係がない。
一言で言えば、「余所」(よそ)なのである。
子どもの頃、お盆とお正月、祖母の家に親
戚が一堂に会した。人見知りする性質のワ
タシは、いとこたちの輪に入っていけず、
所在無さに「余所」を強く意識した。
そのときの心境と似ている。
場は、両手を広げてワタシを包み込んでく
れない。場のせいにするなんて卑怯かもし
れないが、場所にはそこで営まれてきたく
らしからにじみ出た人情や念、思いや願い
が交錯している。
場のもつ空気やエネルギーは、行動に制約
を与える。それはよいとか悪いとかの次元
で語れることではなく。。。
自分のテリトリーを確保するのは、動物の
習性である。ワタシもまた居場所を求めて
自室にこもる。。。
ただ、今度の家ではこもることと家族で過
ごす時間とのバランスを意識しなければと
自戒している。
イエまるごとが自分のテリトリーになるだ
ろうから、難しいことではないと予想する
が、引きこもりはよくないな(笑)、と。
着々と進む現場。ダウンライトを埋め込む穴。
クリックしていただいた方に
感謝100倍★
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無題
おっしゃるとおり、新聞やテレビで
報じられる事件を見聞きするにつけ、
日本いえ世界の将来に希望が持てな
くなりそうで、不安が心をよぎります。
暗いニュースにあふれた社会では、
ありふれた平凡な日常がいちばん幸せ
なんだと、我が身を振り返ります。
ささやかなくらしを大切にすること――
イエをつくるに当たって、望んだことです。
新しいイエであれやこれやしたいこと
はたくさんありますが、究極は家族の
ふれあいと自己実現で言い表せます
(ワタシの場合)。
多忙を極める日日は、ときに自分や
家族をも見失いがちになります。
ときどき立ち止まってじっくり見る
時間を持たないと。。と思っています。
が、日日に流されなかなか実行できて
いませんが。
報じられる事件を見聞きするにつけ、
日本いえ世界の将来に希望が持てな
くなりそうで、不安が心をよぎります。
暗いニュースにあふれた社会では、
ありふれた平凡な日常がいちばん幸せ
なんだと、我が身を振り返ります。
ささやかなくらしを大切にすること――
イエをつくるに当たって、望んだことです。
新しいイエであれやこれやしたいこと
はたくさんありますが、究極は家族の
ふれあいと自己実現で言い表せます
(ワタシの場合)。
多忙を極める日日は、ときに自分や
家族をも見失いがちになります。
ときどき立ち止まってじっくり見る
時間を持たないと。。と思っています。
が、日日に流されなかなか実行できて
いませんが。
引きこもり
中東情勢・アフガン情勢など、私の日常では想像も出来ない事態が、起きています。
日本でも、信じられない事件が連日報じられ、もう既に驚きも感じなくなってしまっている自分に気付いた時、なんだか悲しくなってしまいます。
せめてもの、慰めは自分の知り合いに、そのような事件に巻き込まれた人がいないことです。
私もたまに、ゆっくり本を読みながら自分の時間を持ちたいと思っていますが、思うようにはなりません。今は、あれこれ考えるより、一つ一つ確実に前進していくしかないと、割り切っています。
ゆっくり自分を見つめ直す時間を持たず、ただただ前進していくことも、一種の引きこもりではないかと感じる時があります。
大きな視矢と目標があり、それに向かって進んでいくことが理想とすれば、今の自分は目的地を決めずに、ひたすら走り続けるマラソンランナーのようです。もしかして、同じ円をぐるぐる廻っているだけかもしれません。迷路に迷いこんでいるのかもしれません。でも、今はそれすらわからない状況です。
でも、人生とはそのようなものかもしれません。
目標を決めていても、自分の思い通りになるとは限りません。逆に思わぬことが、その後の人生を決めることも多いです。
私の仕事は、クライアントとの出会いという、刺激があります。ルーティーンに流されることなく、一つ一つの家を初心に戻って創っていく作業が、大切だと思っています。
そうしないと、クライアントと価値感を共有することは出来ません。
家を作る作業はクライアントの人生に大きな影響を与えます。また、逆にクライアントが私の人生に大きくかかわっているとも言えます。
日本でも、信じられない事件が連日報じられ、もう既に驚きも感じなくなってしまっている自分に気付いた時、なんだか悲しくなってしまいます。
せめてもの、慰めは自分の知り合いに、そのような事件に巻き込まれた人がいないことです。
私もたまに、ゆっくり本を読みながら自分の時間を持ちたいと思っていますが、思うようにはなりません。今は、あれこれ考えるより、一つ一つ確実に前進していくしかないと、割り切っています。
ゆっくり自分を見つめ直す時間を持たず、ただただ前進していくことも、一種の引きこもりではないかと感じる時があります。
大きな視矢と目標があり、それに向かって進んでいくことが理想とすれば、今の自分は目的地を決めずに、ひたすら走り続けるマラソンランナーのようです。もしかして、同じ円をぐるぐる廻っているだけかもしれません。迷路に迷いこんでいるのかもしれません。でも、今はそれすらわからない状況です。
でも、人生とはそのようなものかもしれません。
目標を決めていても、自分の思い通りになるとは限りません。逆に思わぬことが、その後の人生を決めることも多いです。
私の仕事は、クライアントとの出会いという、刺激があります。ルーティーンに流されることなく、一つ一つの家を初心に戻って創っていく作業が、大切だと思っています。
そうしないと、クライアントと価値感を共有することは出来ません。
家を作る作業はクライアントの人生に大きな影響を与えます。また、逆にクライアントが私の人生に大きくかかわっているとも言えます。