命みなぎる新緑の季節となりました。中庭のヤマボウシは、ゆさゆさと若葉を揺らし、白い花をつけています。小鳥のさえずりで目を覚ます朝、あぁ自然の営みのありがたさ、ささやかな日常を過ごしています。
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イエをつくりたいと思ったとき
真っ先に考えたのは、
洗濯ものをどこに干すか
ということだった。
北陸の冬は、雪と重く低く垂れ込めた
鉛色の空に閉ざされる。
一番の悩みは洗濯物が乾かないこと。
部屋に干すのは絶~対にイヤ!
生活感あふれたそんな光景を目にすると
悲しくなる。
そうかといって洗濯を乾かす目的だけ
に別の部屋でわざわざ暖房を入れるのは
経済的ではない。
居間に干すとどうして目障りなのか。
それは洗濯物を干すべき場所ではないからだ。身に着けるプライベートなものを、居間という公共の場にさらすことはワタシのちっぽけな美意識でさえもそれを許さない。
洗濯物は然るべき場所に干したい、
切実にそう望んだ。
玄関先に干すのも本当はイヤだ。
今はしかたなくそうしているが、
できることならしたくないのが本音。
北陸では屋内に洗濯物干し場を確保する
ことは必須である。
そのためだけに暖房を入れるのではなく
室内の暖気を利用して乾かしたい
しかも洗濯物が目障りにならない
ようにしたい、
設計を依頼するときの要望書に
そう盛り込んだ。
ワタシにとって、洗濯物の干し場や
洗濯機から干し場までの動線、
またどこで洗濯物をたたむのかといった
洗濯物に関する一連のことは、
イエをつくるにあたって最優先するべき
事柄だった。
春になり、洗濯物を屋外に干せる季節に
なった。外に干すこと自体はウレシイこと
なのだが、今の洗濯干し場には屋根がない。
(昔のイエゆえそういう設計になって
おらず言ってもしかたのないことだが)
常にお天気を気にかけていなければならず
落ち着かない。
そんな小さなことが家事の余計な負担に
なると痛感する。
出かけるときなど、雨を想定して
ハンガーごと取り入れなければならず
たいへん面倒だ。
しかも、ステンレスのハンガーを使って
いるので、重く取り入れる作業はちょっとした
重労働である。
ステンレスの洗濯ハンガーには多分に思い入れがあり、そのことについては次回に記そうと思う。
ココを押していただけるとウレシイです
真っ先に考えたのは、
洗濯ものをどこに干すか
ということだった。
北陸の冬は、雪と重く低く垂れ込めた
鉛色の空に閉ざされる。
一番の悩みは洗濯物が乾かないこと。
部屋に干すのは絶~対にイヤ!
生活感あふれたそんな光景を目にすると
悲しくなる。
そうかといって洗濯を乾かす目的だけ
に別の部屋でわざわざ暖房を入れるのは
経済的ではない。
居間に干すとどうして目障りなのか。
それは洗濯物を干すべき場所ではないからだ。身に着けるプライベートなものを、居間という公共の場にさらすことはワタシのちっぽけな美意識でさえもそれを許さない。
洗濯物は然るべき場所に干したい、
切実にそう望んだ。
玄関先に干すのも本当はイヤだ。
今はしかたなくそうしているが、
できることならしたくないのが本音。
北陸では屋内に洗濯物干し場を確保する
ことは必須である。
そのためだけに暖房を入れるのではなく
室内の暖気を利用して乾かしたい
しかも洗濯物が目障りにならない
ようにしたい、
設計を依頼するときの要望書に
そう盛り込んだ。
ワタシにとって、洗濯物の干し場や
洗濯機から干し場までの動線、
またどこで洗濯物をたたむのかといった
洗濯物に関する一連のことは、
イエをつくるにあたって最優先するべき
事柄だった。
春になり、洗濯物を屋外に干せる季節に
なった。外に干すこと自体はウレシイこと
なのだが、今の洗濯干し場には屋根がない。
(昔のイエゆえそういう設計になって
おらず言ってもしかたのないことだが)
常にお天気を気にかけていなければならず
落ち着かない。
そんな小さなことが家事の余計な負担に
なると痛感する。
出かけるときなど、雨を想定して
ハンガーごと取り入れなければならず
たいへん面倒だ。
しかも、ステンレスのハンガーを使って
いるので、重く取り入れる作業はちょっとした
重労働である。
ステンレスの洗濯ハンガーには多分に思い入れがあり、そのことについては次回に記そうと思う。
ココを押していただけるとウレシイです
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今日はシンデレラになりました。
といっても舞踏会に出かけたのではなく
ホコリにまみれて大掃除をしたのです。
さわやかな五月晴れの朝。
お掃除心がムクムクと湧きあがり
ゴム手袋とマスクという完全防備ないでたちで挑みました。
本来、掃除することはと~っても
キモチいいことです。
ホワイトボードを消すときの
快感、アレです!
サ~ッとひと拭きでサッパリと消え
リセットする感覚。
年末の大掃除は、多忙な時季でもあり
本腰入れてすることは難しいので
季節の変わり目にときどきこうやって
大掃除をするのです。
お布団も靴も干して、完璧☆
模範主婦になった気分
なのでした。
掃除には、浄化作用があります。
日日のモヤモヤやストレスも
掃除機でブイ~ンと吸い込むと
一緒に吸い込まれて消えてなくなってしまう。
女性が失恋すると髪を切るのは
よくあることですが、
ワタシは現状を変えたいとき
急に、夜でも掃除を始めます。
家族には「メイワクだ」と
ヒンシュクをかっているのですが。
そうです!カタルシスを求めて
掃除をするのかもしれません。
安上がりにできています。
ココを押していただけるとウレシイです
といっても舞踏会に出かけたのではなく
ホコリにまみれて大掃除をしたのです。
さわやかな五月晴れの朝。
お掃除心がムクムクと湧きあがり
ゴム手袋とマスクという完全防備ないでたちで挑みました。
本来、掃除することはと~っても
キモチいいことです。
ホワイトボードを消すときの
快感、アレです!
サ~ッとひと拭きでサッパリと消え
リセットする感覚。
年末の大掃除は、多忙な時季でもあり
本腰入れてすることは難しいので
季節の変わり目にときどきこうやって
大掃除をするのです。
お布団も靴も干して、完璧☆
模範主婦になった気分
なのでした。
掃除には、浄化作用があります。
日日のモヤモヤやストレスも
掃除機でブイ~ンと吸い込むと
一緒に吸い込まれて消えてなくなってしまう。
女性が失恋すると髪を切るのは
よくあることですが、
ワタシは現状を変えたいとき
急に、夜でも掃除を始めます。
家族には「メイワクだ」と
ヒンシュクをかっているのですが。
そうです!カタルシスを求めて
掃除をするのかもしれません。
安上がりにできています。
ココを押していただけるとウレシイです
1年前のことなんですが、
ふと思い出したのでココに綴ります。
私の住む町のさるお寺の
千手観音サマが、
約1年の修復作業を無事終えて、
お寺に戻ってきたという。
修復開眼法要が営まれるというので、
出かけた。
いつでも拝観できるわけではなく、
この機会を逃したら次は33年後である。
私は生きているという保証はない。
明日のことなどわからない。
手帳には、極細ペンで予定を書き込むが、
それはあくまでも予定だ。
予定を既成事実にするためには、
行動あるのみ。
”すぐやる課”の心意気が大切である。
初めて走る道を、地図を助手席に置き
ハンドルを握る。
下調べの段階で、交差点や信号機の名称を
メモ用紙にサインペンで大きく書き出しておく。
これをハンドルの近くに貼り付けておく。
地図を見ながら運転するのは難儀で
危険をともなうが、このようにしておけば、
メモと信号機の下の看板の名称を
照らし合わせて進めば、
迷うことなく目的地にたどり着ける
自分のことを“地図が読めない女”
だと卑下していたけれど、
それは助手席で運転にいそしむ
オットを尻目に、居眠りしながら
お気楽に座っていたときのこと。
自力で行くしかないというときには、
その気になれば地図くらい読める女
になれるのだ、といくらかの自信をもった。
開眼法要というものに臨席するのは
初めてのことで、要領がよく理解できない。
”お気持ち”を受付で差し出し、本堂に入る。
カラフルな袈裟をまとったお坊さま方が
お出ましになり、お経を唱えながら輪に
なってぐるぐる回り始めた。
着席して文机からそれぞれの経典を取り出し、どさっと上に積み上げる。
坊さんの長の掛け声に合わせて、
手さばきも鮮やかにアコーディオンの
ごとく広げては閉じてを繰り広げる。
どんな意味があるのか知る由もないが、アリガタイ千手観音サマのご加護にあずかるため、今一度経典に風を通して心を正す、といったところか。
いよいよ、千手観音サマとご対面のとき。
列に並び、順番の来るのを待つ。
檀家の方に混じって、私のような
千手観音ファン(カメラを持っている)
や仏像マニアといった人種も少なくない。
かのお方は、高い所に静座されており、
目を閉じて手を合わせておられる。
慈悲の手は、一見込み合っていて異形に映る
が、よく見ると方向も表情もさまざまで、
持っている小道具も意味ありげである。
ろうそくの炎に浮かび上がるお姿からは、
神々しいものを感じ、おだやかな表情と
たくさんの手というミスマッチが、
千手観音の魅力だと確信した。
観音という位はまだ修行中の身だという。
私は、二本の手さえ存分に使いこなせて
いるとは言えない。与えられた両手で、
私は何ができるのだろうか。自分のため、
人のために何ができるのか、考えた。
ココを押していただけるとウレシイです
ふと思い出したのでココに綴ります。
私の住む町のさるお寺の
千手観音サマが、
約1年の修復作業を無事終えて、
お寺に戻ってきたという。
修復開眼法要が営まれるというので、
出かけた。
いつでも拝観できるわけではなく、
この機会を逃したら次は33年後である。
私は生きているという保証はない。
明日のことなどわからない。
手帳には、極細ペンで予定を書き込むが、
それはあくまでも予定だ。
予定を既成事実にするためには、
行動あるのみ。
”すぐやる課”の心意気が大切である。
初めて走る道を、地図を助手席に置き
ハンドルを握る。
下調べの段階で、交差点や信号機の名称を
メモ用紙にサインペンで大きく書き出しておく。
これをハンドルの近くに貼り付けておく。
地図を見ながら運転するのは難儀で
危険をともなうが、このようにしておけば、
メモと信号機の下の看板の名称を
照らし合わせて進めば、
迷うことなく目的地にたどり着ける
自分のことを“地図が読めない女”
だと卑下していたけれど、
それは助手席で運転にいそしむ
オットを尻目に、居眠りしながら
お気楽に座っていたときのこと。
自力で行くしかないというときには、
その気になれば地図くらい読める女
になれるのだ、といくらかの自信をもった。
開眼法要というものに臨席するのは
初めてのことで、要領がよく理解できない。
”お気持ち”を受付で差し出し、本堂に入る。
カラフルな袈裟をまとったお坊さま方が
お出ましになり、お経を唱えながら輪に
なってぐるぐる回り始めた。
着席して文机からそれぞれの経典を取り出し、どさっと上に積み上げる。
坊さんの長の掛け声に合わせて、
手さばきも鮮やかにアコーディオンの
ごとく広げては閉じてを繰り広げる。
どんな意味があるのか知る由もないが、アリガタイ千手観音サマのご加護にあずかるため、今一度経典に風を通して心を正す、といったところか。
いよいよ、千手観音サマとご対面のとき。
列に並び、順番の来るのを待つ。
檀家の方に混じって、私のような
千手観音ファン(カメラを持っている)
や仏像マニアといった人種も少なくない。
かのお方は、高い所に静座されており、
目を閉じて手を合わせておられる。
慈悲の手は、一見込み合っていて異形に映る
が、よく見ると方向も表情もさまざまで、
持っている小道具も意味ありげである。
ろうそくの炎に浮かび上がるお姿からは、
神々しいものを感じ、おだやかな表情と
たくさんの手というミスマッチが、
千手観音の魅力だと確信した。
観音という位はまだ修行中の身だという。
私は、二本の手さえ存分に使いこなせて
いるとは言えない。与えられた両手で、
私は何ができるのだろうか。自分のため、
人のために何ができるのか、考えた。
ココを押していただけるとウレシイです
杉が好きです。
スギダラケ倶楽部に入会しています。
詳しくは月刊杉をご覧ください。
会員証です↓
設計をお願いしている建築家の事務所を
訪れた際、床材を何にするか問われました。
ずらっと並べられた木材の見本市。
以前から、日本家屋におけるスリッパの
存在に疑問を感じていました。
フローリングでは着用、和室では脱ぐ
どこで脱いだのかワカラナクナル・・
なんでスリッパが必要なのか?
フローリングでスリッパを履くのはなぜか?
スリッパを履かなくても違和感のない
床材とは?
たどり着いた答えがスギでした。
ハナシを元に戻すと
建築家Y氏の事務所で見せられたスギに
一目ぼれ。
生理的に、コレ好きって思ったんです。
さらっとした手触り。
足裏に感じるやわらかい感触。
能登にはスギがたくさん植わっています。
ワタシの家の裏山の杉も、春先には黄色い
花粉をばらまき、憎き花粉症の
元凶として敵対視されています。
近年よろしくないイメージのスギですが
それには戦後の植林政策と需要のバランスの崩れが絡んでいるのです。
説明すると長くなるので割愛しますが、
要は植えたものを使わなかったから
こういう事態(花粉症)を引き起こして
いるのです。
さて、スギは床材に使います。
今も、いただいた見本の杉材を
足元に置いて素足で踏んでいます。
夏涼しく冬暖かい、自然の中で育まれた
スギのチカラを感じます。
キズがつくのは承知の上。
きっとそのキズさえもいとおしいと
思う日が来るのでしょう。
いただいた40ミリの杉板↓
この厚みの材を床に貼ってもらいます。
ココを押していただけるとウレシイです
スギダラケ倶楽部に入会しています。
詳しくは月刊杉をご覧ください。
会員証です↓
設計をお願いしている建築家の事務所を
訪れた際、床材を何にするか問われました。
ずらっと並べられた木材の見本市。
以前から、日本家屋におけるスリッパの
存在に疑問を感じていました。
フローリングでは着用、和室では脱ぐ
どこで脱いだのかワカラナクナル・・
なんでスリッパが必要なのか?
フローリングでスリッパを履くのはなぜか?
スリッパを履かなくても違和感のない
床材とは?
たどり着いた答えがスギでした。
ハナシを元に戻すと
建築家Y氏の事務所で見せられたスギに
一目ぼれ。
生理的に、コレ好きって思ったんです。
さらっとした手触り。
足裏に感じるやわらかい感触。
能登にはスギがたくさん植わっています。
ワタシの家の裏山の杉も、春先には黄色い
花粉をばらまき、憎き花粉症の
元凶として敵対視されています。
近年よろしくないイメージのスギですが
それには戦後の植林政策と需要のバランスの崩れが絡んでいるのです。
説明すると長くなるので割愛しますが、
要は植えたものを使わなかったから
こういう事態(花粉症)を引き起こして
いるのです。
さて、スギは床材に使います。
今も、いただいた見本の杉材を
足元に置いて素足で踏んでいます。
夏涼しく冬暖かい、自然の中で育まれた
スギのチカラを感じます。
キズがつくのは承知の上。
きっとそのキズさえもいとおしいと
思う日が来るのでしょう。
いただいた40ミリの杉板↓
この厚みの材を床に貼ってもらいます。
ココを押していただけるとウレシイです
主婦の仕事ってどこまでやったら
終わり、というキリがありません。
掃除でも片づけでもやりだすと際限がないし
ココもやろうとドンドン広がっていき
しまいに疲れてヘトヘトなんてことも。
裏返せばサボろうと思えば
どれだけでもサボれるとも言えます。
おせんべいかじりながらワイドショウなんて
グータラ主婦の見本のようなことも
できてしまうわけです。
充実感を得られる家事のやりかたは
あらかじめ今日やることを
メモに書き出しておくのです。
コツは、掃除という大まかなくくりではなく
湯おけの漂白!などと具体的にすることです。
やり終えたらメモに「済」を押します。
この瞬間が、家事の充実感を感じるときです。
この「済」印、5年ほど前文具店で求めました。
家庭に一本、「済」印を!
オススメです。
ココを押していただけるとウレシイです
終わり、というキリがありません。
掃除でも片づけでもやりだすと際限がないし
ココもやろうとドンドン広がっていき
しまいに疲れてヘトヘトなんてことも。
裏返せばサボろうと思えば
どれだけでもサボれるとも言えます。
おせんべいかじりながらワイドショウなんて
グータラ主婦の見本のようなことも
できてしまうわけです。
充実感を得られる家事のやりかたは
あらかじめ今日やることを
メモに書き出しておくのです。
コツは、掃除という大まかなくくりではなく
湯おけの漂白!などと具体的にすることです。
やり終えたらメモに「済」を押します。
この瞬間が、家事の充実感を感じるときです。
この「済」印、5年ほど前文具店で求めました。
家庭に一本、「済」印を!
オススメです。
ココを押していただけるとウレシイです