命みなぎる新緑の季節となりました。中庭のヤマボウシは、ゆさゆさと若葉を揺らし、白い花をつけています。小鳥のさえずりで目を覚ます朝、あぁ自然の営みのありがたさ、ささやかな日常を過ごしています。
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いつかは解散する家族という社会の最小単位。
おおかたの人は、一生のうちにふたつの家族を経験する。
誕生から巣立ちまでの間、親に養われ守られる家族、
成人し伴侶とともに築く自分たちの家庭。
前者でいる期間は、後者のそれよりもずっと短い。
遠くない将来、ムスメたちもここを巣立っていく日が来る。ムスメたちがこの春ダブル入学だったこともあって、写真館で家族写真を撮ってきた。これまでも節目節目で撮ってきたが、あと何回撮る機会があるだろうか。縁あって巡り会えた家族、記念写真は証拠写真でもある。
親と一緒に写すのは、気恥ずかしいお年頃である。照れからくる憎まれ口をたたきながらも、ちょっぴりおすまししてカメラに納まる。普段から肖像権とやらを持ち出してデジカメの撮影さえままならない彼女たち。なんとか無事に撮り終えることができたが、仕上がりはいかに。
家族、特に親子を含めたそれは永遠ではない。
限られたある期間だけ一緒に暮らす仲間。
楽しい日、会話の弾む日ばかりではない。
ときにそれは面倒で鬱陶しく、一人になりたい日もある。でも家族なんだ、今は。
いつか懐かしく思い出す日が来るだろう、アルバムをめくりながら。
おおかたの人は、一生のうちにふたつの家族を経験する。
誕生から巣立ちまでの間、親に養われ守られる家族、
成人し伴侶とともに築く自分たちの家庭。
前者でいる期間は、後者のそれよりもずっと短い。
遠くない将来、ムスメたちもここを巣立っていく日が来る。ムスメたちがこの春ダブル入学だったこともあって、写真館で家族写真を撮ってきた。これまでも節目節目で撮ってきたが、あと何回撮る機会があるだろうか。縁あって巡り会えた家族、記念写真は証拠写真でもある。
親と一緒に写すのは、気恥ずかしいお年頃である。照れからくる憎まれ口をたたきながらも、ちょっぴりおすまししてカメラに納まる。普段から肖像権とやらを持ち出してデジカメの撮影さえままならない彼女たち。なんとか無事に撮り終えることができたが、仕上がりはいかに。
家族、特に親子を含めたそれは永遠ではない。
限られたある期間だけ一緒に暮らす仲間。
楽しい日、会話の弾む日ばかりではない。
ときにそれは面倒で鬱陶しく、一人になりたい日もある。でも家族なんだ、今は。
いつか懐かしく思い出す日が来るだろう、アルバムをめくりながら。
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