命みなぎる新緑の季節となりました。中庭のヤマボウシは、ゆさゆさと若葉を揺らし、白い花をつけています。小鳥のさえずりで目を覚ます朝、あぁ自然の営みのありがたさ、ささやかな日常を過ごしています。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
イエをつくることは一生一度の一大事。人生でもっとも高い買い物と言われるイエであるが、少なくともワタシにとって、買い物という感覚で捉えられるものではない。洋服や食料品を購入するようにイエを買う人は、いるまい。そんなふうに考えることができるなら、これほど深く悩んだり考えたりはしない。またそんなに簡単にイエを考えるべきではないと、思う。
ワタシたちは、自分たち仕様のイエを希望した。規格住宅では要望を盛り込むにも限度がある。建築家・岡本氏と打ち合わせを重ね、注文住宅というかたちとなる。規格住宅であれば大工さんの手間が省けるところも、そういうわけにはいかず工期は大幅に遅れた。遅くなることはあっても早くなることはない。頭では理解していたものの、1日でも早く入居したいという思いは募る。引渡し予定日まで2週間あまりとなった現在、改めてイエについて考えている。
西側外観
イエとは、財産?自己実現? 融資を受ける際は、財産とみなされる。近所の人は、おそらく自己実現と見ているだろう。当のワタシたちにとっては、「居場所」である。自己実現はあとからついてくるものだと思っている。心やすらぐ場、遠慮も仮面も脱ぎ捨てて本音で語り合う場。ときにはケンカもするだろう。ふざけあい笑いあうことだってある。そんな場がほしかった。
大工さんや電気屋さん、基礎屋さんに外構屋さん、左官屋さんに板金屋さんなど多くの職人さんと、それを指揮する現場監督や建築家、大本を締める工務店、ワタシたちのイエのために数え切れないほどの人が動いてくださっている。そんなことを考慮すると、ありがたいの一言に尽きる。ビジネスだと言い切ればそうなんであるが、そこには当然感情も入り混じる。
イエをつくることとは、かくも深く尊い。言葉では表せないほどの感動と感情の行き違い、喜びと憂いに満ちている。
ワタシたちは、自分たち仕様のイエを希望した。規格住宅では要望を盛り込むにも限度がある。建築家・岡本氏と打ち合わせを重ね、注文住宅というかたちとなる。規格住宅であれば大工さんの手間が省けるところも、そういうわけにはいかず工期は大幅に遅れた。遅くなることはあっても早くなることはない。頭では理解していたものの、1日でも早く入居したいという思いは募る。引渡し予定日まで2週間あまりとなった現在、改めてイエについて考えている。
西側外観
イエとは、財産?自己実現? 融資を受ける際は、財産とみなされる。近所の人は、おそらく自己実現と見ているだろう。当のワタシたちにとっては、「居場所」である。自己実現はあとからついてくるものだと思っている。心やすらぐ場、遠慮も仮面も脱ぎ捨てて本音で語り合う場。ときにはケンカもするだろう。ふざけあい笑いあうことだってある。そんな場がほしかった。
大工さんや電気屋さん、基礎屋さんに外構屋さん、左官屋さんに板金屋さんなど多くの職人さんと、それを指揮する現場監督や建築家、大本を締める工務店、ワタシたちのイエのために数え切れないほどの人が動いてくださっている。そんなことを考慮すると、ありがたいの一言に尽きる。ビジネスだと言い切ればそうなんであるが、そこには当然感情も入り混じる。
イエをつくることとは、かくも深く尊い。言葉では表せないほどの感動と感情の行き違い、喜びと憂いに満ちている。
セーラー服に憧れている。
と言ってもヘンな意味ではない。制服でセーラー服を一度も着たことがなかったワタシ、ムスメ1の中学校の制服で初めてセーラー服を身近にした。
セーラー服は、初々しい少女の魅力をさりげなく引き出してくれる、乙女にふさわしい制服だと思う。胸元から後ろにかけて広がる大きな襟。前から見てももちろんかわいいし、後ろ姿がこれまたキュート。大きな襟はそれだけで表情があり、とんがっている2箇所の角が、またそそる。ワタシが男子生徒だったならば、女子の後ろ姿は妄想を膨らませる格好の材料になるに違いない。
ムスメ1は、はじける若さを惜しげもなく振りまきながら、今日もセーラー服をまとってガッコウに通う。うらやましいほどよく似合う。とがって荒削りでしかしみずみずしく繊細な感受性をセーラー服の下に隠し持っていることを、ワタシは知っている。
と言ってもヘンな意味ではない。制服でセーラー服を一度も着たことがなかったワタシ、ムスメ1の中学校の制服で初めてセーラー服を身近にした。
セーラー服は、初々しい少女の魅力をさりげなく引き出してくれる、乙女にふさわしい制服だと思う。胸元から後ろにかけて広がる大きな襟。前から見てももちろんかわいいし、後ろ姿がこれまたキュート。大きな襟はそれだけで表情があり、とんがっている2箇所の角が、またそそる。ワタシが男子生徒だったならば、女子の後ろ姿は妄想を膨らませる格好の材料になるに違いない。
ムスメ1は、はじける若さを惜しげもなく振りまきながら、今日もセーラー服をまとってガッコウに通う。うらやましいほどよく似合う。とがって荒削りでしかしみずみずしく繊細な感受性をセーラー服の下に隠し持っていることを、ワタシは知っている。
デッキ(まだついていない)からダイニングを見る↓
右側、設備機器の箱が置かれている後方に、水屋箪笥を置きます。
前にも書いたように、祖父の代から使っていた(今は物置で待機)年代ものです。
小春日和の今日、ぽかぽかお日様を背中に浴びながら、工務店の社長と現場監督と引渡しその他諸々立ち話をすること一時間あまり。。
建築写真のことが話に上り、生活感が漂う前に写真を撮りたいね、と。
●社長
「家具を入れると生活くさくなってしまうので、撮るなら入れる前のほうがいいでしょう」
▼ワタシ
「家具はおおかたが造り付けなので、持ち込む家具といえば水屋箪笥くらいです」
●社長
「美しい古び方をしているものだったらいいけど、美しくない古び方だったらちょっとなぁ・・」
▼ワタシ
「・・・」
美しく古びるで思い浮かぶのは、河井寛次郎記念館の道具類。時の流れが降り積もって醸し出すつやを放っている。古びているからこそ美しいと思う。
一方、ワタシが置こうとしている水屋箪笥はどうだろうか。美しい古び方かと言われれば、自信を持って肯定することはできない。
誰が見ても美しいと感じる美はある。一方で美の基準とはきわめて主観的なものでもある。モノに寄せる想いや愛着が、私的な美になることだってある。「だて食う虫も好き好き」と言うように、人の好みはさまざまである。
あの水屋箪笥だから、ワタシにとって意味があるのだ。お金を出せば美しく古びた水屋箪笥を手に入れることだって不可能ではない。しかし、そんな気もなければお金もない。ワタシにとって水屋箪笥は、実家の物置で眠っているものでなければならない。熱く語ってしまいましたが、古さ加減が浮いてしまわないだろうかと一抹の不安はある。なんらかの塗装は施さなければならないと思っている。
後は、人間と同様、新しい場所に馴染むまでには時間が必要だということ。
右側、設備機器の箱が置かれている後方に、水屋箪笥を置きます。
前にも書いたように、祖父の代から使っていた(今は物置で待機)年代ものです。
小春日和の今日、ぽかぽかお日様を背中に浴びながら、工務店の社長と現場監督と引渡しその他諸々立ち話をすること一時間あまり。。
建築写真のことが話に上り、生活感が漂う前に写真を撮りたいね、と。
●社長
「家具を入れると生活くさくなってしまうので、撮るなら入れる前のほうがいいでしょう」
▼ワタシ
「家具はおおかたが造り付けなので、持ち込む家具といえば水屋箪笥くらいです」
●社長
「美しい古び方をしているものだったらいいけど、美しくない古び方だったらちょっとなぁ・・」
▼ワタシ
「・・・」
美しく古びるで思い浮かぶのは、河井寛次郎記念館の道具類。時の流れが降り積もって醸し出すつやを放っている。古びているからこそ美しいと思う。
一方、ワタシが置こうとしている水屋箪笥はどうだろうか。美しい古び方かと言われれば、自信を持って肯定することはできない。
誰が見ても美しいと感じる美はある。一方で美の基準とはきわめて主観的なものでもある。モノに寄せる想いや愛着が、私的な美になることだってある。「だて食う虫も好き好き」と言うように、人の好みはさまざまである。
あの水屋箪笥だから、ワタシにとって意味があるのだ。お金を出せば美しく古びた水屋箪笥を手に入れることだって不可能ではない。しかし、そんな気もなければお金もない。ワタシにとって水屋箪笥は、実家の物置で眠っているものでなければならない。熱く語ってしまいましたが、古さ加減が浮いてしまわないだろうかと一抹の不安はある。なんらかの塗装は施さなければならないと思っている。
後は、人間と同様、新しい場所に馴染むまでには時間が必要だということ。