命みなぎる新緑の季節となりました。中庭のヤマボウシは、ゆさゆさと若葉を揺らし、白い花をつけています。小鳥のさえずりで目を覚ます朝、あぁ自然の営みのありがたさ、ささやかな日常を過ごしています。
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食べ物飽和状態の現在においてなお、子どもの好き嫌いは
親の杞憂の種です。
いいえ、飽和状態だからこそ、とっつきにくい食材は
積極的に摂取してほしいという親心がはらたきます。
もずく
海藻の一種でミネラルやビタミンが豊富
能登産のもずく・・・地産地消の観点からも、
子どもに食べてほしい。
それを、「食育」という言語で定義しなければならないなんて
なんて世知辛い世の中なんでしょう。
そもそも「食育」なんて言語自体、現代用語辞典以外の
国語辞典には載っていない、現代特有の現象です。
そこからして、食の乱れが想像できるというもの。
ことさら食育を意識している訳ではありませんが、
「食」への郷愁の残り火を消してはならないという意識は
ワタシの世代、辛うじて残っています。
なんとかして「もずく」をムスメ1に食べさせようと
考え出したのが、「ぶっかけ肉もずくうどん」。
彼女の好物の肉と、苦手なもずくを冷やしうどんにトッピングして
さっぱりつゆにシソと白ゴマをのせていただくというレシピ。
完璧だと思ったんだけどなぁ。。。。
ここまでして食べないのなら、もはやワタシの関知するところでは
ございません。
自活して苦労するがよろし。
親の杞憂の種です。
いいえ、飽和状態だからこそ、とっつきにくい食材は
積極的に摂取してほしいという親心がはらたきます。
もずく
海藻の一種でミネラルやビタミンが豊富
能登産のもずく・・・地産地消の観点からも、
子どもに食べてほしい。
それを、「食育」という言語で定義しなければならないなんて
なんて世知辛い世の中なんでしょう。
そもそも「食育」なんて言語自体、現代用語辞典以外の
国語辞典には載っていない、現代特有の現象です。
そこからして、食の乱れが想像できるというもの。
ことさら食育を意識している訳ではありませんが、
「食」への郷愁の残り火を消してはならないという意識は
ワタシの世代、辛うじて残っています。
なんとかして「もずく」をムスメ1に食べさせようと
考え出したのが、「ぶっかけ肉もずくうどん」。
彼女の好物の肉と、苦手なもずくを冷やしうどんにトッピングして
さっぱりつゆにシソと白ゴマをのせていただくというレシピ。
完璧だと思ったんだけどなぁ。。。。
ここまでして食べないのなら、もはやワタシの関知するところでは
ございません。
自活して苦労するがよろし。
世の中にはコレクターと呼ばれる人たちがいて
彼らにとって集めることは喜びであり、ライフワークです。
この方々のすごいことろは、やみくもに集めるだけでなく
系統立てて整理するところにあります。
たとえば牛乳瓶のふたであったりお菓子の外箱といった
何の変哲もないものが、秩序にのっとり整理されることで、
時代を語るモノとして価値を見せるのです。
ワタシは収集癖はまったくないのですが
捨てられずにとっておきたいもののひとつに、美術館や博物館
コンサートなどのチケットがあります。
もちろん、パンフもです。
とっておくのはいいけれど、後になって見返すことはほとんどありません。
机の上に置いた半券を見ていてふと思いつきました。
本のしおりに使えます、チケットの半券。
いつも目に触れていれば、そのときどきのエピソードが懐かしく思い起こされますし、
小さなチケットの紙面に表現された世界も楽しめます。
コレクターのようにマメなことはできなくても、「使う」という方法もあります。
彼らにとって集めることは喜びであり、ライフワークです。
この方々のすごいことろは、やみくもに集めるだけでなく
系統立てて整理するところにあります。
たとえば牛乳瓶のふたであったりお菓子の外箱といった
何の変哲もないものが、秩序にのっとり整理されることで、
時代を語るモノとして価値を見せるのです。
ワタシは収集癖はまったくないのですが
捨てられずにとっておきたいもののひとつに、美術館や博物館
コンサートなどのチケットがあります。
もちろん、パンフもです。
とっておくのはいいけれど、後になって見返すことはほとんどありません。
机の上に置いた半券を見ていてふと思いつきました。
本のしおりに使えます、チケットの半券。
いつも目に触れていれば、そのときどきのエピソードが懐かしく思い起こされますし、
小さなチケットの紙面に表現された世界も楽しめます。
コレクターのようにマメなことはできなくても、「使う」という方法もあります。